昭和57年5月 |
手づくり自然食友の会として代表者野本二士夫が東京都港区西新橋1-10-7に設立。 |
昭和58年3月 |
光文社発刊の月刊宝石に“壮絶なる漂流者”として田原総一郎氏により野本二士夫の半生を紹介され大きな反響。これをきっかけに『卵油』の製法伝授行脚を野本二士夫が開始。 |
昭和58年10月 |
卵油の製造を野本方子が(株)コーリキにおいて始め、これに伴い手づくり自然食友の会は“野本のぷち卵油”を販売する事になる。 |
昭和63年4月 |
脅威の卵油健康法をリブ文庫より発刊。後、数々の出版物を発刊していく。 |
平成2年7月 |
横浜市港北区・新横浜駅前に本部を移設することになる。 |
平成5年3月 |
横浜本部を再度、設立地である東京・西新橋へ移転する。 |
平成6年5月 |
手づくり健康学を実業之日本社より発刊。 |
平成15年6月 |
創始者野本二士夫が死去し野本方子が後継。 |
平成16年7月 |
(株)コーリキの新工場完成に伴い経営統合を実施。手づくり自然食友の会は(株)コーリキの販売事業部門となる。 |
現在の年売上額約30億円。顧客総数25万人を全国に持ち、健康情報誌の発行を主とした顧客維持活動を行い『卵油』の普及と顧客の健康を留意したサービスを主眼として顧客の信頼を得る直接販売を続けている。